こすもすくーる

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葉っぱのひとりこと



大洗の夏の思いで

子どもの頃の事、白く熱い砂浜が続く海岸を何も持たず歩く。いや走ると言った方が正しい。とにかく熱い。もちろん、裸足である、ビーチサンダルなどというものは履かない、なぜなら海に入ればもう、邪魔でしかない存在だから。とにかく走る、どうにも我慢できなくなったとき、足を砂の中にもぐり込ませる。深さは、くるぶし以上でないと、温度が下がらないので必死である。そんな事を,4〜5回繰り返して、やっと海辺に到着する。もういきなりザブンである。熱い足を冷やす感触が何とも言えない。ひとしきり泳いだあと、冷えたからだを温めるために、乾いた白い砂の上に腹ばいになって足、背中と砂をかける。今でも言うのかどうかわからないが、この白い乾いた砂のことを「ギンスナ」と私達は言った。たぶん、銀色に輝いていたからだと思う、そう言えば足を砂の中にもぐりこませる時、キュッキュッと砂が鳴いたのを憶えています。
砂のなかにからだを入れたときの温かさが何とも言えないホッとする気持ちにさせてくれる。潮のにおい、砂の感触は40年たった今でも思い出すことができる。そうとう遊んでいた証拠なのたろうか。アイスキャンディー売りの「カラン、カラン」という乾いた音、にぎやかな周りの声のなかで、ついうとうととしてしまう時もあります。
アイスキャンディーの棒(これは、割り箸)で遊んだ棒倒し、「ギンスナ」を取り払って、濡れている砂の面に文字を彫り、そこに乾いた砂を入れて文字の当てっこをする隠し文字あそび、落し穴つくり、頭くらい大きい砂ダンゴなどなど、こんな遊びを毎日のようにしていました。何もない時代でしたから、まわりのあるもので遊びをつくって行ったのでしょう、そして年上からの伝え遊びでもあったと思います。今の子ども達は、こんな遊びをしているのでしょうか。
もう海へ泳ぎに行かなくなって、30年にもなります。近くにある大洗の海は、私にとってまるで知らない海。遠い昔の大洗の海は、私の思い出の中に残っている別世界のようです。