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らくだの種




だれの学習ですか                

セルフラーニングでは、全ては学習者が決めていきます。
この言葉の意味は簡単なことのようで結構むずかしいことです。ではどういう意味でしょうか。まず教室ではどのプリントをするかを決めてもらいます。それには本人がどのプリントをやればよいのか分かっている必要があります。つまり本人が分かるようなシステムになっていないと決められません。「あなたの事だからあなたが勝手に決めればいいでしょう。」というのは、はっきり言って放任だと思うのです。それほど、人間は出来ていません、自分が何を考え行動をしているかさえ、あやしいものです。ましてや子どもにそれを求めるのは無理でしょう。でもその人に出きる範囲で決めて行くことは可能です。その積み重ねが徐々に自己決定力を養い積極性を付けて行き「生きる力」となると思うのです。

では、分かるようなシステムとはどのようなものでしょう。まず、プリント自体がプリントの進め方さえ教われば、自分で次から次へと進んで行けるようになっています。指導者も親も介入する必要もないし、むしろ介入を極力少なくするようになっています。つまり誰かに依存するという意識を消してしまいます。自立心を育てるという意味会いもありますが、本当の目的は違うところにあります。それはこの学習がいったい「誰の学習か」ということを本人に自覚してもらうためです。とかく勉強は親にさせられるもの、先生にさせられるもの、学校は行かされるものと受身になってしまっているのが現在の教育の根本的問題になっています。

でもよく観察してください、幼児が言葉や数を覚えるとき、親は覚えなさいと言って憶えさせますか。幼児はさせられて覚えていますか。きっと、喜んで自分から覚えようとしていると思います。いったい、いつから道が違ってくるのでしょうか。

セルフラーニングの基本はこの問いかけからまず始まります。






らくだのプリント学習で学べるもの

セルフラーニング科ではらくだのプリントを使って学習を進めて行きます。
その学習のねらいは次の4つと言って良いでしょう。


、自己決定力(自分でプリントを決めて、いつ実行するか決める。)
2、継続力(続ける事の困難さと、そこで得られるものを知ることができる。)
3、問題解決力(問題が起こった時にどう対処するか考える力が養える。)
4、自己解析力(自分がとった行動がどのようような結果になるか、その内容に責任をもつことの意味。)

これらの能力は教えて身につくものではありません。自らが体験して身につくものです。
これらの能力を「非認知能力」というのではないでしょうか。
生活する上で必要な事ばかりです。
反対に教えてもらって身につく学習は、知識としては一時的に残りますが、
大人になれば忘れ去られるものがほとんどです。

らくだの学習は上記の4項目を計算と書き取りをしながら身につけるための学習です。
計算も漢字も自らの学習でしか身につかないものです。
自らの力で身に付けたものは、決して忘れることはありません。
まして、それが苦労して身につけたものならなおさらでしょう。
生活する上で大切な事を身に付けないで、偉くなった大人の何と多いことでしょう。






学習環境と成績

私が思うに人間はほとんど能力に差があるとは思っていません。
何故ならば、人類学的に言って、ほとんど同じ遺伝子から分かれて
きたのですから、違いがあるはずがないのです。
では、頭が良い悪い、優秀かそうでないかの違いは何でしょう。
学習ができる環境に有ったか無かったの違いだけなのです。
言い換えれば、学習をする意思を持てたかどうかです。
たったこれだけのことで頭が良い悪いと言われているのです。
子供たちの学習環境はどうですか、どうすべきでしょうか?





三日坊主のジレンマ

三日坊主という言葉に、おそらく誰もが心当たりあると思います。
普通の人であれば誰にでも有ると言って良い行動です。
らくだのプリントも例外ではありません。
最初は珍しく、やる気だって十分にあるものです。
しかし、そのやる気というパワーはいつまでも継続するものではありません。
最初のやる気はいわば本人の持っている力の100%に近い状態で始まります。
全力疾走に近い状態です。そのような状態がいつまでも続くはずがありません。
息切れした状態が三日坊主の正体です。

その三日坊主が始まった状態からが、本当のらくだの学習の始まりです。
その三日坊主の現れ方は、その人それぞれ千差万別で現れます。
本当に軽く現れて平然としている人もいれば、プリントを隠したり
無くしたりしてやれない口実を作ってくる人もいます。
いろいろな用事を作って言い訳をする人もいます。
親としては、困った見たくない行動と思います。
でもそれはごく普通の行動なのです。
何の問題もなくやっている人でも、本当はぎりぎりの崖っぷちで
やっているはずです。
問題なくやっているように見える人たちを見ていると
自分のペースをきちんと守りやっているようです。
自分のペースを確立したと言うべきでしょう。

三日坊主が現れない子には、なるべく早く現れるように負荷をかけてあげます。
そして楽になって、自分のペースで学習が出来るようになるのが良い状態と言えます。
自分の学習環境を落ち着かせて、自分のペースを知ることが、本当の自分の学習となるのです。
周りの人は、そっと負荷をかけながら、その人のレベルを上げて行く手助けを
すれば良いのです。

息切れした三日坊主をどうすれば良いか迷うのも親としてのジレンマです。
でもこれを克服できた時に得られものは、はかり知れないものがあります。